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クズリ通信

子育ての記録、人間関係論、シンプルな生活などについて。

不倫が社会的に許容されなくなった理由

人間関係

先日渡辺謙さんの不倫が週刊文春にすっぱ抜かれて、ワイドショーなどでも大きく取り上げられてます。

 

以前だったら日本人ハリウッドスターのような大物が不倫した場合、もっと社会的に許容されていたような気がしますが、今の世の雰囲気は違います。不倫する人に対して、しらーっとしているというか、冷たいというか。

 

社会全体に不倫する人間に対する嫌悪感が蔓延しているのを、ひしひしと感じるのです。これは何故でしょう?

 

いろいろな理由があると思いますが、私は二つ、インターネットによって社会が大きく変容したことが理由としてあるのではないかと考えました。

 

恨みの可視化

一つは、不倫された側、被害者の声の可視化です。

 

これまでの不倫に関する情報は、加害者側の発言の方がどちらかと言えば多かったのです。例えば芸能人やスポーツ選手、あるいは作家や政治家。

 

彼らが不倫された! という報道よりも、彼らが不倫している! という報道の方が圧倒的に多く、その時に雑誌やテレビで大きく紹介されるのは、不倫する側の論理でした。

 

もちろん、コメンテーターの批判は紹介されますし、被害者側の声が加害者を叩く材料として使われることもあります。

 

しかし報道のメインは、不倫した側の釈明です。

 

また、身近な話として、世間話で「不倫した経験者の自慢話」をよく見聞きしたものです。それに比べると、不倫された側がどれほどつらかったのか、を聞くことはあまりありませんでした。

 

人は自慢はしたがりますが、恥ずかしい話、忘れたい話は、できるだけ隠したがるものだからでしょう。

 

ところが、インターネットのお陰で、不倫被害者の声が多くの人に届くようになりました。2ちゃんねるまとめサイトやブログで、不倫被害者たちの、

「不倫されたことで数十年経った今でもほど辛い」

「信頼していた最愛の人から裏切られて、人生が激変した」

「ストレスで今でも嘔吐することがある」

という声を知ることが出来ます。インターネットを利用する時間の多い人は、必然的にそうした声に触れる機会が増えました。不倫がどれほどされた側の心に深い影を落とすのかについて書かれた長い記事を、今の20代から40代の人ならば一度は読んだことがあるのではないでしょか。

 

このことが、不倫に対する嫌悪感の蔓延に大きな影響を与えているのではないか、と思うのです。

 

 

因果応報の可視化

もう一つは、不倫する人間の「末路」を多くの人が知るようになったことです。

 

これまで芸能人の訃報が伝えられ、それと同時に晩年の寂しい様子が伝えられても、理由について事細かに語られることは稀でした。マスコミも、亡くなった人を叩くような真似は控えていたためであり、どれほど過去に妻を泣かせていようとも、

「◯◯がかわいそうだ」

という声ばかり、紹介されていました。

 

ところが今は、たとえば山城新伍が亡くなった時に、彼の女性関係がどれほどでたらめだったのか等、具体的に臨場感をもって、誰かが紹介してくれます。当時の週刊誌のネタから自著の内容まで、これでもかというくらい、知らせてくれます。

 

それを読めば、

「ああ、こりゃしょうがないな」

と思います。芸能人にとどまらず、政治家やスポーツ選手で寂しい晩年を迎える男性の多くが、過去に浮気で妻や家族をないがしろにしていたという事実を、人々は共有するようになりました。

 

また、多くの人のブログで、若い頃に浮気三昧だった人間が、どのような惨めな生活を送っているのか知るようになりました。

 

もちろん、どんなに放蕩の限りを尽くそうとも、幸せな老後を送っている人はいますが、これは統計上の「外れ値」のようなものです。

 

それを目標にするのは、自分を特別な存在だと信じる幼い思考の持ち主であることの露呈でしょう。

 

こうして不倫のもたらす弊害が社会通念となったことも、不倫に対する軽侮感、拒絶感を人々が共有するようになった理由の一つでしょう。

 

人をいじめていた過去を、自慢げに語ることがいつの間にか恥ずかしいこととなったように、浮気自慢をすることが、テレビでも次第に難しくなりつつあります。それは多分、社会にとっては良い変化なのでしょう。

鼻水の吸引を毎日やっています

乳児期(1歳まで)

子供が生まれて5ヶ月位たったときでしょうか、鼻水がつまって苦しそうにしていることがありました。

 

「鼻水がつまったら、吸い出してくださいね」

と看護師さんから言われていたため、鼻水吸引器で吸い出して上げたのですが、冬になると寒いせいか、それからたびたび鼻が詰まるようになりました。

 

どうするべきか、悩みましたね。

 

鼻水を吸い出してあげることで、子供の鼻水を押し出す力を失ってしまうのではないか?

 

吸引を習慣化することにためらいがありました。

 

ところが思い余って小児科医に相談すると、

「気にせず、鼻が詰まっていたらどんどん吸い出してもらっていいですよ」

とのことでした。また、毎日吸ってもらっても構わない、と書いている育児書もみつかりまして、今は毎晩、寝る前に吸い出すことが日課になっています。

 

よくよく考えれば、幼児は肺活量も少なく、鼻水をかんだり、すすって口から出したりすることが出来ないのです。幼児が出来ないことを親が代わってやってあげることに、ためらいは不要だったのです。

 

鼻水の吸引は一苦労です。泣き叫び、身体をくねらせ、どうにか逃げ出そうと子供は必死です。今では、私が鼻水の吸引を行い、妻がその間に子供の歯を磨き(もう子供の前歯が生えてきました。驚くほどの早さ)、短時間でことを済ませるようにしています。

 

慣れてくれればいいのに、こればかりはいつまでも子供が慣れてくれず、泣き叫ばれる毎日。毎晩繰り返される5分間の大騒ぎ。

 

隣近所にこの大騒ぎは聞こえているはず。虐待と思われていなければいいのですが。

 

 

隠れんぼ

子の成長

最近のうちの子供は、隠れたふりをして私を驚かすことに夢中になっています。

 

ベッドに寝そべっていると、ベッドの足元へこっそりやってきて、私の足をつついてしゃがみます。私が、

「あれ、◯◯ちゃんがいないぞ」
と言いながら探すふりをすると、
「ああ!」
と言いながら喜色満面の笑みで立ち上がります。

「あれ、◯◯ちゃんがいた!」

と叫ぶとキャッキャッと喜びます。

それを何度も繰り返します。

 

この可愛い行動が始まるのが、決まって寝る前です。寝たくないから可愛い行動をして、寝る時間をなんとか引き延ばそうという魂胆なのでしょう。

 

本当はずっとつきあいたいと思う気持ちと、早く寝せなきゃ、という気持ちの間で揺れながら、しばらくの間、この子供の行動につきあうようにしています。

 

本当は帰宅した後にもっと遊んであげたいのですが、なかなか時間が取れません。

 

子供はご飯を食べるスピードが遅く、またお風呂にも入れなければならず、うんこをしたときはおむつを替えるのにも時間がかかり、その間に夫婦のどちらかが洗濯物を干したりたたんだり茶碗を洗ったりせねばなりません。子供とじっくりと遊ぶ時間は限られてしまいます。

 

いや、これは言い訳かもしれませんね。つきあう時間があっても、つきあうことに疲れてしまう場合も多いのですから。

 

準備万端、気力の充実した時に限って子供は寝てしまったり私と遊ぶのを嫌がったりします。なかなかうまくいかないものです。

片足を引きずりながらハイハイをしていた

乳児期(1歳まで)

子供が初めてハイハイをするようになったのは、生まれて9ヶ月経った頃です、

 

ところが最初の頃は、片足を引きずりながら這うというもので、それが数ヶ月続きました。いずれ治るだろうと思っていたのに、思っていたよりも長く続いて気になったことがありました。

 

ネットで調べると似たような症例がいくつか報告されていました。しかし最近のネットは似たような記事やQ&Aが多いです。業者がヤフー知恵袋の一例を元に記事を水増ししているのかもしれず、あまり当てになりません。

 

段々と背中の左右が非対称になっているような気もします。左足をひきずっていたため、左側に曲がるように誘導して、左足をどうにかして使わせるように仕向けたこともありました。

 

ところが杞憂でありまして、段々と高速で這うようになり、今では立ち上がり、当たり前のように歩いています。背骨も左右均等に成長しています。

 

左足を引きずりながらのハイハイが直ったのは、妻が実家にしばらく帰っていたのがきっかけだったように思います。うちは狭く、ハイハイで往復するのが難しいウサギ小屋です。それに比べると妻の実家は広く、自由自在に動くことが出来ます。お陰で、ハイハイを練習して、身体の正しい使い方を覚える事が出来たのでしょう。

 

子供の成長のためには、広い場所が必要です。

風呂場で水を飲みたがる

子の成長

これまで子供をお風呂に入れる時は、慎重に抱っこしたままでした。ところが成長して立てるようになると、湯船の中でも立ちたがるようになったため、私の腕の中ではじっとしてくれません。

 

しょうがないので、溺れないように浅くお湯を張り、立たせて、湯冷めしないようにたらいでお湯をかけながらお風呂に入れるようになりました。

 

お風呂のお湯はいつも80リットルと少なめで、お陰で水の節約となりましたが、親は肩が冷めていけません。これも子育ての、我慢。

 

子供は親心を知らず、屈託無くケラケラ笑いながらおもちゃで遊んでいます。頑是ないものです。

 

最近の我が子のお気に入りは、蛇口から直接水を飲むことです。水が流れていないと、

「うっ、うっ」

とうなり、蛇口をひねるように私をせかします。蛇口をひねってチョロチョロと水が流れるように操作すると、ニヤニヤと笑いながら蛇口に口をつけて水を飲むのです。マンションの水を直接飲ませたくないために(うちは浄水器トレビーノを使っています)、何度か止めさせようとしましたが、泣いて嫌がるので今では好きなようにさせています。

 

水を飲むことに夢中になり、咳き込むこともあります。そこまでして水分を補給したいならと、幼児用の水飲み器具をお風呂に入れたこともありましたが、蛇口から直接水を飲むことに固執します。この無意味な執着が、なんともかわいくてなりません。

のん(能年玲奈)と北島マヤ

雑記

ガラスの仮面』という有名な演劇スポ根長編漫画があり、長年のファンです。

 

で、この中に出てくる北島マヤと、「この世界の片隅に」で主人公の声を演じたのん(能年玲奈)の存在が似ているな、と映画がヒットしてから考えていて、映画を観た後に記事にするつもりでしたが。

news.yahoo.co.jp

 

先日のんさんのインタビュー記事を読みましたら、ブックマークですでに指摘されていました。

なんか芸能界を追放された北島マヤに重なったわ。マヤみたいに復活してほしいものです。

2017/03/04 06:13

 

しかも「能年玲奈 北島マヤ」で検索をかけると、「この世界の片隅に」がヒットする前から指摘していた人も大勢いました。

togetter.com

 

みなさん、考えることは同じですね。

 

ただ、のんが北島マヤと重なる時期として、『ガラスの仮面』の中の、大河ドラマに主演中に仕組まれたスキャンダルで、芸能界から追放された場面を連想している人が多買ったのですが、違うのではないかな、と。

 

北島マヤが大河を降板した後、のんの場合とは異なり、所属芸能事務所である大都芸能はマヤのバックアップを続けようとしていました。しかし母を亡くしたショックで演劇を続けられないマヤ自ら演劇を止めてしまったのですから、この時期のマヤと"のん"とは重ならないのではないかな、と考え直しました。

 

よく考えればのん=能年玲奈の活躍はまだ始まったばかり。それならば『ガラスの仮面』ストーリー初盤、全国演劇コンクールで一度は1位となりながら、大手芸能事務所のドンの画策で演劇の道を閉ざされた時期の方がマヤとのんとはシンクロしているのではないかと思えました。

 

大手芸能事務所の小細工で、舞台への道を閉ざされたマヤは、栄進座という新派の劇団に押しかけ、脇役として一度は採用されました。ところがその才能を恐れた原田座長から、二度と舞台に呼ばれることはありませんでした。

 

原田座長はマヤが怖くて、自分の劇団を守るためにマヤを舞台に上げることを拒否したのでした。後日、原田座長はマヤの先生である月影千草に詫びのために訪れます。月影先生はそれを受け入れるのですが、この時にマヤを評して言った言葉が、今の"のん"のことを表現しているようで面白い。

「でもね原田さん やがて世間はあの子を認めないわけにはいかなくなる 大衆があの子を望むようになる 何よりも大きな大衆の力で支えられる日が来る…… きっとくる……!」

 

やがて経験を積んだ北島マヤは、大手芸能事務所の手の届きにくいところで経験を積み、やがて大衆の支持を得て再浮上していくのでした。

 

のんもまた、アニメ業界という音事協の力の届きにくい場所から再浮上をしつつあります。これぞスターの条件。スターは大衆に支えられ、必ず輝くものです。その復活劇が小気味よく、伝説が出来上がる過程を観ているようでワクワクしますね。

 

彼女を応援する芸能界の人々の視線には、暖かいものが多いのも面白いです。たぶん、音事協が仕切る現在の古い芸能界の体質を、快く思っていない人が関係者の中にも多数いるのでしょう。だから、のんの活躍を誰もが応援したくなるのでしょう。

 

彼女自身も、恨み言を一切言いません。上記のインタビュー記事を読んでも、あくまで軽やかに前向きに生きていこうとしています。だから誰もが応援したくなるのでしょう。 

 

脚光を浴び、そこから失墜しながらも、天性の明るさで復活を遂げる。このようなドラマ性もまた、スターが持って生まれた運命なのかも。

「この世界の片隅に」の尾身美詞(おみ みのり)さんの演技が良い

雑記

この世界の片隅に」をようやく観てきました。ジーンと来ました。

戦争という非日常に突入していく時代に、我々の生きる現代につながっている日常がある。当たり前のことを優しく淡々と素敵に描いている作品でした。

 

帰宅して、思わず妻に、

「こんな俺と結婚してくれてありがとう」

と言ってしまいました。そういう、観た人が謙虚な気持ちになれる映画です。

 

主人公の声を演ずるのんの演技には当然のように感心しましたが、「うまい」と思ったのがのんの義姉である黒村径子(くろむらけいこ)の声を演じた尾身美詞(おみみのり)さんの演技。非常に憎々しい演技に引き込まれました。

「いるな、こういう人間」

「自分に下手に能力があるものだから、周囲のやることなすことが気に食わず、怨嗟を撒き散らす」

「それが結果的に自分を追い詰めていくことに気がつかない」

と、この径子という女性のことが嫌でたまりませんでした。

 

これまでの人生の中で出会った径子のような人々とのことを思い出しましたね。

 

しかし彼女の良さも段々とわかってきました。最後はこの人もまた時代に翻弄されたのだと納得しましたが。

 

自分勝手で気が強くて、それでいながら時に気が弱く、もろい。そういう女性の危うさを、東京出身の尾身美詞さんが、慣れないはずの広島弁で丁寧に演じていらっしゃいます。

 

失礼ながら尾身美詞さんのことを知りませんでした。40代頃のベテランの女優だろうか、と思って調べたところ、なんと1984年生まれの32歳。私よりもお若く、しかも可愛らしい方でした。演じた人との間にギャップがあり過ぎて驚きました。

ameblo.jp

 

芸達者だなと思いつつも、よくよく考えれば30代はベテランと表現してもいい年代なので、それを若いと感じた私のほうが年を取ってしまったのかもしれません。複雑な気持ちです。


尾身美詞(おみ・みのり)/青年座公演『フォーカード』

 

この作品は、監督の熱意によって、数年越で完成をしたと聞いています。良い作品と、情熱ある監督に引き寄せられた人々だから、人格的に素晴らしい方々が多いのかもしれません。出演した声優の一覧を観ましても、性格的に嫌だな、と思う人はほとんど出演していませんでした。

 

いい人を知りました。尾身美詞さんの舞台を、機会があれば観てみようと思います。