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クズリ通信

子育ての記録、人間関係論、シンプルな生活などについて。

風呂場で水を飲みたがる

子の成長

これまで子供をお風呂に入れる時は、慎重に抱っこしたままでした。ところが成長して立てるようになると、湯船の中でも立ちたがるようになったため、私の腕の中ではじっとしてくれません。

 

しょうがないので、溺れないように浅くお湯を張り、立たせて、湯冷めしないようにたらいでお湯をかけながらお風呂に入れるようになりました。

 

お風呂のお湯はいつも80リットルと少なめで、お陰で水の節約となりましたが、親は肩が冷めていけません。これも子育ての、我慢。

 

子供は親心を知らず、屈託無くケラケラ笑いながらおもちゃで遊んでいます。頑是ないものです。

 

最近の我が子のお気に入りは、蛇口から直接水を飲むことです。水が流れていないと、

「うっ、うっ」

とうなり、蛇口をひねるように私をせかします。蛇口をひねってチョロチョロと水が流れるように操作すると、ニヤニヤと笑いながら蛇口に口をつけて水を飲むのです。マンションの水を直接飲ませたくないために(うちは浄水器トレビーノを使っています)、何度か止めさせようとしましたが、泣いて嫌がるので今では好きなようにさせています。

 

水を飲むことに夢中になり、咳き込むこともあります。そこまでして水分を補給したいならと、幼児用の水飲み器具をお風呂に入れたこともありましたが、蛇口から直接水を飲むことに固執します。この無意味な執着が、なんともかわいくてなりません。

のん(能年玲奈)と北島マヤ

雑記

ガラスの仮面』という有名な演劇スポ根長編漫画があり、長年のファンです。

 

で、この中に出てくる北島マヤと、「この世界の片隅に」で主人公の声を演じたのん(能年玲奈)の存在が似ているな、と映画がヒットしてから考えていて、映画を観た後に記事にするつもりでしたが。

news.yahoo.co.jp

 

先日のんさんのインタビュー記事を読みましたら、ブックマークですでに指摘されていました。

なんか芸能界を追放された北島マヤに重なったわ。マヤみたいに復活してほしいものです。

2017/03/04 06:13

 

しかも「能年玲奈 北島マヤ」で検索をかけると、「この世界の片隅に」がヒットする前から指摘していた人も大勢いました。

togetter.com

 

みなさん、考えることは同じですね。

 

ただ、のんが北島マヤと重なる時期として、『ガラスの仮面』の中の、大河ドラマに主演中に仕組まれたスキャンダルで、芸能界から追放された場面を連想している人が多買ったのですが、違うのではないかな、と。

 

北島マヤが大河を降板した後、のんの場合とは異なり、所属芸能事務所である大都芸能はマヤのバックアップを続けようとしていました。しかし母を亡くしたショックで演劇を続けられないマヤ自ら演劇を止めてしまったのですから、この時期のマヤと"のん"とは重ならないのではないかな、と考え直しました。

 

よく考えればのん=能年玲奈の活躍はまだ始まったばかり。それならば『ガラスの仮面』ストーリー初盤、全国演劇コンクールで一度は1位となりながら、大手芸能事務所のドンの画策で演劇の道を閉ざされた時期の方がマヤとのんとはシンクロしているのではないかと思えました。

 

大手芸能事務所の小細工で、舞台への道を閉ざされたマヤは、栄進座という新派の劇団に押しかけ、脇役として一度は採用されました。ところがその才能を恐れた原田座長から、二度と舞台に呼ばれることはありませんでした。

 

原田座長はマヤが怖くて、自分の劇団を守るためにマヤを舞台に上げることを拒否したのでした。後日、原田座長はマヤの先生である月影千草に詫びのために訪れます。月影先生はそれを受け入れるのですが、この時にマヤを評して言った言葉が、今の"のん"のことを表現しているようで面白い。

「でもね原田さん やがて世間はあの子を認めないわけにはいかなくなる 大衆があの子を望むようになる 何よりも大きな大衆の力で支えられる日が来る…… きっとくる……!」

 

やがて経験を積んだ北島マヤは、大手芸能事務所の手の届きにくいところで経験を積み、やがて大衆の支持を得て再浮上していくのでした。

 

のんもまた、アニメ業界という音事協の力の届きにくい場所から再浮上をしつつあります。これぞスターの条件。スターは大衆に支えられ、必ず輝くものです。その復活劇が小気味よく、伝説が出来上がる過程を観ているようでワクワクしますね。

 

彼女を応援する芸能界の人々の視線には、暖かいものが多いのも面白いです。たぶん、音事協が仕切る現在の古い芸能界の体質を、快く思っていない人が関係者の中にも多数いるのでしょう。だから、のんの活躍を誰もが応援したくなるのでしょう。

 

彼女自身も、恨み言を一切言いません。上記のインタビュー記事を読んでも、あくまで軽やかに前向きに生きていこうとしています。だから誰もが応援したくなるのでしょう。 

 

脚光を浴び、そこから失墜しながらも、天性の明るさで復活を遂げる。このようなドラマ性もまた、スターが持って生まれた運命なのかも。

「この世界の片隅に」の尾身美詞(おみ みのり)さんの演技が良い

雑記

この世界の片隅に」をようやく観てきました。ジーンと来ました。

戦争という非日常に突入していく時代に、我々の生きる現代につながっている日常がある。当たり前のことを優しく淡々と素敵に描いている作品でした。

 

帰宅して、思わず妻に、

「こんな俺と結婚してくれてありがとう」

と言ってしまいました。そういう、観た人が謙虚な気持ちになれる映画です。

 

主人公の声を演ずるのんの演技には当然のように感心しましたが、「うまい」と思ったのがのんの義姉である黒村径子(くろむらけいこ)の声を演じた尾身美詞(おみみのり)さんの演技。非常に憎々しい演技に引き込まれました。

「いるな、こういう人間」

「自分に下手に能力があるものだから、周囲のやることなすことが気に食わず、怨嗟を撒き散らす」

「それが結果的に自分を追い詰めていくことに気がつかない」

と、この径子という女性のことが嫌でたまりませんでした。

 

これまでの人生の中で出会った径子のような人々とのことを思い出しましたね。

 

しかし彼女の良さも段々とわかってきました。最後はこの人もまた時代に翻弄されたのだと納得しましたが。

 

自分勝手で気が強くて、それでいながら時に気が弱く、もろい。そういう女性の危うさを、東京出身の尾身美詞さんが、慣れないはずの広島弁で丁寧に演じていらっしゃいます。

 

失礼ながら尾身美詞さんのことを知りませんでした。40代頃のベテランの女優だろうか、と思って調べたところ、なんと1984年生まれの32歳。私よりもお若く、しかも可愛らしい方でした。演じた人との間にギャップがあり過ぎて驚きました。

ameblo.jp

 

芸達者だなと思いつつも、よくよく考えれば30代はベテランと表現してもいい年代なので、それを若いと感じた私のほうが年を取ってしまったのかもしれません。複雑な気持ちです。


尾身美詞(おみ・みのり)/青年座公演『フォーカード』

 

この作品は、監督の熱意によって、数年越で完成をしたと聞いています。良い作品と、情熱ある監督に引き寄せられた人々だから、人格的に素晴らしい方々が多いのかもしれません。出演した声優の一覧を観ましても、性格的に嫌だな、と思う人はほとんど出演していませんでした。

 

いい人を知りました。尾身美詞さんの舞台を、機会があれば観てみようと思います。

独り言を止めたらコミュニケーション能力が上がった

人間関係

「無くて七癖 有って四十八癖」

ということわざがありますように、癖(くせ)というものは無い人でも7つくらいは何かしらあるもの。かくいう私は癖が多いほうかもしれません。その一つとして「独り言を言う」という悪癖が以前ありました。

 

癖の自覚は大学生

「一人暮らしをしていると、独り言を言うようになるよね? 夜になって『あ、鍵閉めなきゃ』とか自然に言ってない? 寂しいからかな」

サークルの友人からそう聞いて笑いましたが、帰って気をつけてみると、私自身も独り言を言っていることに気づきました。それが最初の自覚かも。

 

学生なので、英語の勉強のために英文を音読したり、試験勉強のためにテキスト音読をしたりしている影響だったのかもしれません。

「私も一人暮らしだし、独り言の癖がつくのはしょうがない。記憶の定着にも考えの整理にも役立つ。人に迷惑になるわけじゃないし、何が悪い」

当然のことだと思っていました。

 

ところが、癖は直そうと思わなければ直りません。社会人となって数十年、習い性となり独り言の癖は治らず、会社で同僚から注意されたこともありました。その時には直しますが、根本的に治そう、とまでは思いきれませんでした。

 

コミュニケーション能力に悩む

ところで、はコミュニケーション能力が低いことが昔から悩みました。これを強く自覚するようになったのは社会人になってからで、職場の人間関係や恋愛で悩む理由の一つでした。

 

そこで「会話力を高める方法」的な本を読んだりして解決の道を探っていたのですが、思うような効果が上がりません。

 

年齢を重ね、それなりにごまかせるようにはなりましたが、根本的な解決とまではいきませんでした。

 

共通する「独り言」「鼻歌」「愚痴」の持ち主

ある時ですね、こういう話を聞きました。

  • 「独り言を言う」「鼻歌を歌う」「愚痴をもらす」という癖はつながっている。
  • その根底には、他人からどう見られているか、ということへの鈍感がある。
  • もっと言えば、周りへの注意、観察力がない。
  • 表層意識はもともと、周囲や他人の観察のために空けておかなければならない。
  • 会話とは、相手を観察して何を考えているのか想像しながら「楽しい時間を過ごす」「仲良くなる」「問題を解決する」などの最終的な目的に沿って適切な言葉をやりとりしていくもの。
  • 正しい観察なしに正しいコミュニケーションは取れない。
  • 普通の人は、表層意識で当たり前のように、周囲や相手を観察している。
  • ところが上記のような癖の持ち主は、表層意識が「考え事」「歌」「他人への恨みつらみ」で普段からいっぱいになっている。
  • だから周囲を観察したり他人を思いやったりする余裕がない。
  • 「観察しよう」と思っても、頭の中にあふれるものが邪魔をする。
  • 結果、コミュニケーション能力が低くなる。

そういえば、コミュニケーション能力の低い人間に、ブツブツと独り言を言う癖の持ち主や鼻歌を歌う人が多いのは確か。愚痴を言う人は自己中心的な人が多く、これまたコミュニケーション能力が高い人には少ないでしょう。

 

このような癖は、他人に多大な迷惑をかけていることが多いのに、それを自覚出来ないということ自体、自分を客観的に見られず、常識のないことの証左です。

 

軽く考えていた自分の癖が、実は自分の人生にとって悪影響を与えていたのかもしれないと気づいてから、独り言を絶対に言うまいと心に誓いました。

 

ところが、癖を治すのはとても難しいものでした。いくら気をつけても独り言を思わず言ってしまいます。「独り言言うのを止めなきゃ」と言って赤面したことも。自覚するようになると、独り言の多さに驚きました。これほど頻繁に言っていたとは。

 

独り言が減るにつれ、意識が明晰になり、周囲を観察する余裕が出てきました。他にもいろいろな努力をしてきましたが、独り言を止めたことで、コミュニケーション能力が大きく改善されたのを感じています。

 

天才数学者などがブツブツと独り言を言うような過集中が必要な場合も、もちろんあるのでしょう。しかし普段の生活や仕事では、他人とコミュニケーションを取りながら活動を並行して行う必要があるため、過集中はむしろ害悪です。そもそも自分のことで頭がいっぱいなのに、他人とコミュニケーションが取れるはずがありません。

 

普段独り言を言ったり鼻歌を思わず歌ったり、あるいは愚痴を誰かれ構わず漏らしているような人は、その癖を肯定せず、癖を断固として改めてみてください。人生が変わるかもしれません。

子供がニャンニャン言うようになった

これまでほとんど話さなかった子供が、ウソのように喃語(なんご)を話すようになりました。

 

「まんま、まんま」とか「だーだー」だとか、他のお宅の喃語にはいろいろなパターンがあるようですが、うちは「ニャンニャン」ばかりです。猫の化身でしょうか。

 

それにしては猫よりも犬のほうが好きなようで、公園で犬に出会うと体いっぱいで喜びを表しています。だったらワンワンと言えばいいのに、普段言いません。

 

かといって、猫が嫌いなわけではなく、猫を見るとジッと見つめて、ゆっくりと手を振ります。猫はあまりかまわれると嫌がることを学んだからかもしれません。

 

犬派か猫派かはさておき、言葉はにゃんにゃん一辺倒。にゃんにゃん言うのが可愛くて頬ずりすると、嫌がるようになり、わざと私のほっぺたに手のひらをおしつけ、身体をひねって抵抗します。笑いながらそうするので、故意ですね。すでに親をからかう術を心得ているようです。

 

私もニャンニャンと応答すると、それに答えていつまでもニャンニャンと言い合うことになるので、まるで猫家族です。

夜泣きが大きく改善された②

乳児期(1歳まで)

あれは妻が読んだ本なのか、私が読んだネット記事だったのか。

 

今となっては定かではありません。その中に、

「子供が生まれて約半年頃までは、数時間おきの授乳が必要。しかし、それ以降の離乳期には、子供が夜に泣くからと言って頻繁に起こして授乳していると、夜中の起き癖がついてしまう。泣き出しても放置するべき」

と書かれていました。

 

こうしたことは、もしかしたら助産師さんに悩みとして相談していれば教えてもらえたのかもしれませんが、

「子供は夜泣きするもの」

と当初に教えられた私たちは、数時間おきの夜泣きがもはや当たり前となっており、やがて時間が解決するものとばかり思い込んでいて、質問して解決する、という発想が浮かんでこなかったのです。

 

ところが、上記の方法を子供が生まれて10ヶ月目ほど経った頃に知りまして、妻と相談して、その日の夜、子供がいくら泣こうが、放置することにしました。

 

最初は参りました。寝かしつけるのに1,2時間、なんとか22時頃に寝てくれても夜中の1時に目覚めて夜泣きが始まります。これまでは抱き上げて寝かしつけていたのを、「絶対に抱き上げに行っちゃだめだよ」とお互いに声を掛け合ったものの、子供が泣きつづけるのに耐えられませんでした。初日は30分ほどして根負けして、その夜は何度か、授乳したりミルクをあげたり。

 

それでも、翌日からまた挑戦。ときには1時間泣くのを放置したりしたところ、数日経つと急に長時間、子供が寝てくれるようになりました。

 

いやぁ、びっくりです。子供のためだと思って、夜泣きのたびに抱き上げ、子守唄を歌い、あやし、もう一度眠るまで(ときには朝まで)つきあっていましたが、実はそれは子供のためじゃなかったようです。

 

フランスでは、こうした夜泣きの放置は当たり前のようです。

フランス人は赤ちゃんの夜泣きをあえて放置! フランス式育児は合理的? | ダ・ヴィンチニュース

 

そうは言っても、子供が目覚めるのをすべて放置出来るわけではありません。今でも夜泣きはあり、放置しても2時間近く泣くために根負けしてあやすこともあります。オムツを変えたりミルクを飲ませたり、何をしても泣きやまないこともあります。

 

しかし、突然起きて夜泣きが始まろうとも、基本的に出来る限り放置(我慢が必要です)する方針を続けることで、当たり前のように長時間寝てくれるようになりました。

 

これで私たちは救われました。

夜泣きが大きく改善された①

乳児期(1歳まで)

これまで何度か、夜泣きについて悩んでいた頃のことを書いてきました。

樋屋奇応丸を飲ませたり、小児鍼を試したり。

いろいろな方法を取った中で、一番効果的だった方法の一つが、先日の記事の中で書いた

「ベビーベッドに寝かせる」

ということでした。

 

母親の側に寝かせないことに自責の念を夫婦で持っていましたが、うちの場合はどうやら間違いでした。子供はとても敏感なため、親の寝返りや身動きで、大きく睡眠を邪魔されるようなのです。それが解決され、子供の睡眠時間が伸びたのでした。

 

ただ、3時間ほどで目覚めて、大泣きするのはまだ直りません。子供が目覚めると、妻がおっぱいを子供にあげたり、夜中にミルクを上げたりしていました。

 

妻は日中にも眠ることが出来るために、最初の頃は夜中の子供の世話は妻にまかせっぱなしでした。ところがまとまった睡眠が取れない妻は、やがて疲労困憊するようになりまして、見かねてルールを決めました。

 

夜の前半は、妻が目の覚めた子供の世話をする。朝の4時以降に目が覚めたときは、私が起きて、朝8時まで世話をする、というように。

 

子供が生まれて6ヶ月ほど経つと、私の睡眠も浅くなり、子供が泣けば目が自然に冷めてしまいます。朝4時までは寝かせてもらい、4時以降は私が起きてミルクを与えて、またベッドに寝かせ、そのまま出勤時間まで起きなければ運がよく、8時までに起きれば、私がまたミルクを与える、こうしたことを続けていました。

 

朝飯は作らないでいいからと言って、妻には寝てもらうことにして(この習慣は今でも続いています)、なんとかやりくりしていたものの、睡眠への渇望は募るばかりでした。

 

夜泣きについては皆さんお悩みのようで、先程もタイムリーな記事を読みました。

www.tomochinchin.com

 

どこも大変です。睡眠が削られるのはつらく、段々と苛立ちが募るのがわかります。児童虐待は他人事だと思っていましたが、眠れない日々が続き、思わず怒鳴ってしまったことが私にもありますので、 気持ちが痛いほどわかりました。

 

いつまでも続く、数時間おきの夜泣き。ところが、それが一気に解決しました。それは「放置」という方法でした。

(明日に続きます)