読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

クズリ通信

子育ての記録、人間関係論、シンプルな生活などについて。

独り言を止めたらコミュニケーション能力が上がった

「無くて七癖 有って四十八癖」

ということわざがありますように、癖(くせ)というものは無い人でも7つくらいは何かしらあるもの。かくいう私は癖が多いほうかもしれません。その一つとして「独り言を言う」という悪癖が以前ありました。

 

癖の自覚は大学生

「一人暮らしをしていると、独り言を言うようになるよね? 夜になって『あ、鍵閉めなきゃ』とか自然に言ってない? 寂しいからかな」

サークルの友人からそう聞いて笑いましたが、帰って気をつけてみると、私自身も独り言を言っていることに気づきました。それが最初の自覚かも。

 

学生なので、英語の勉強のために英文を音読したり、試験勉強のためにテキスト音読をしたりしている影響だったのかもしれません。

「私も一人暮らしだし、独り言の癖がつくのはしょうがない。記憶の定着にも考えの整理にも役立つ。人に迷惑になるわけじゃないし、何が悪い」

当然のことだと思っていました。

 

ところが、癖は直そうと思わなければ直りません。社会人となって数十年、習い性となり独り言の癖は治らず、会社で同僚から注意されたこともありました。その時には直しますが、根本的に治そう、とまでは思いきれませんでした。

 

コミュニケーション能力に悩む

ところで、はコミュニケーション能力が低いことが昔から悩みました。これを強く自覚するようになったのは社会人になってからで、職場の人間関係や恋愛で悩む理由の一つでした。

 

そこで「会話力を高める方法」的な本を読んだりして解決の道を探っていたのですが、思うような効果が上がりません。

 

年齢を重ね、それなりにごまかせるようにはなりましたが、根本的な解決とまではいきませんでした。

 

共通する「独り言」「鼻歌」「愚痴」の持ち主

ある時ですね、こういう話を聞きました。

  • 「独り言を言う」「鼻歌を歌う」「愚痴をもらす」という癖はつながっている。
  • その根底には、他人からどう見られているか、ということへの鈍感がある。
  • もっと言えば、周りへの注意、観察力がない。
  • 表層意識はもともと、周囲や他人の観察のために空けておかなければならない。
  • 会話とは、相手を観察して何を考えているのか想像しながら「楽しい時間を過ごす」「仲良くなる」「問題を解決する」などの最終的な目的に沿って適切な言葉をやりとりしていくもの。
  • 正しい観察なしに正しいコミュニケーションは取れない。
  • 普通の人は、表層意識で当たり前のように、周囲や相手を観察している。
  • ところが上記のような癖の持ち主は、表層意識が「考え事」「歌」「他人への恨みつらみ」で普段からいっぱいになっている。
  • だから周囲を観察したり他人を思いやったりする余裕がない。
  • 「観察しよう」と思っても、頭の中にあふれるものが邪魔をする。
  • 結果、コミュニケーション能力が低くなる。

そういえば、コミュニケーション能力の低い人間に、ブツブツと独り言を言う癖の持ち主や鼻歌を歌う人が多いのは確か。愚痴を言う人は自己中心的な人が多く、これまたコミュニケーション能力が高い人には少ないでしょう。

 

このような癖は、他人に多大な迷惑をかけていることが多いのに、それを自覚出来ないということ自体、自分を客観的に見られず、常識のないことの証左です。

 

軽く考えていた自分の癖が、実は自分の人生にとって悪影響を与えていたのかもしれないと気づいてから、独り言を絶対に言うまいと心に誓いました。

 

ところが、癖を治すのはとても難しいものでした。いくら気をつけても独り言を思わず言ってしまいます。「独り言言うのを止めなきゃ」と言って赤面したことも。自覚するようになると、独り言の多さに驚きました。これほど頻繁に言っていたとは。

 

独り言が減るにつれ、意識が明晰になり、周囲を観察する余裕が出てきました。他にもいろいろな努力をしてきましたが、独り言を止めたことで、コミュニケーション能力が大きく改善されたのを感じています。

 

天才数学者などがブツブツと独り言を言うような過集中が必要な場合も、もちろんあるのでしょう。しかし普段の生活や仕事では、他人とコミュニケーションを取りながら活動を並行して行う必要があるため、過集中はむしろ害悪です。そもそも自分のことで頭がいっぱいなのに、他人とコミュニケーションが取れるはずがありません。

 

普段独り言を言ったり鼻歌を思わず歌ったり、あるいは愚痴を誰かれ構わず漏らしているような人は、その癖を肯定せず、癖を断固として改めてみてください。人生が変わるかもしれません。

子供がニャンニャン言うようになった

これまでほとんど話さなかった子供が、ウソのように喃語(なんご)を話すようになりました。

 

「まんま、まんま」とか「だーだー」だとか、他のお宅の喃語にはいろいろなパターンがあるようですが、うちは「ニャンニャン」ばかりです。猫の化身でしょうか。

 

それにしては猫よりも犬のほうが好きなようで、公園で犬に出会うと体いっぱいで喜びを表しています。だったらワンワンと言えばいいのに、普段言いません。

 

かといって、猫が嫌いなわけではなく、猫を見るとジッと見つめて、ゆっくりと手を振ります。猫はあまりかまわれると嫌がることを学んだからかもしれません。

 

犬派か猫派かはさておき、言葉はにゃんにゃん一辺倒。にゃんにゃん言うのが可愛くて頬ずりすると、嫌がるようになり、わざと私のほっぺたに手のひらをおしつけ、身体をひねって抵抗します。笑いながらそうするので、故意ですね。すでに親をからかう術を心得ているようです。

 

私もニャンニャンと応答すると、それに答えていつまでもニャンニャンと言い合うことになるので、まるで猫家族です。

夜泣きが大きく改善された②

あれは妻が読んだ本なのか、私が読んだネット記事だったのか。

 

今となっては定かではありません。その中に、

「子供が生まれて約半年頃までは、数時間おきの授乳が必要。しかし、それ以降の離乳期には、子供が夜に泣くからと言って頻繁に起こして授乳していると、夜中の起き癖がついてしまう。泣き出しても放置するべき」

と書かれていました。

 

こうしたことは、もしかしたら助産師さんに悩みとして相談していれば教えてもらえたのかもしれませんが、

「子供は夜泣きするもの」

と当初に教えられた私たちは、数時間おきの夜泣きがもはや当たり前となっており、やがて時間が解決するものとばかり思い込んでいて、質問して解決する、という発想が浮かんでこなかったのです。

 

ところが、上記の方法を子供が生まれて10ヶ月目ほど経った頃に知りまして、妻と相談して、その日の夜、子供がいくら泣こうが、放置することにしました。

 

最初は参りました。寝かしつけるのに1,2時間、なんとか22時頃に寝てくれても夜中の1時に目覚めて夜泣きが始まります。これまでは抱き上げて寝かしつけていたのを、「絶対に抱き上げに行っちゃだめだよ」とお互いに声を掛け合ったものの、子供が泣きつづけるのに耐えられませんでした。初日は30分ほどして根負けして、その夜は何度か、授乳したりミルクをあげたり。

 

それでも、翌日からまた挑戦。ときには1時間泣くのを放置したりしたところ、数日経つと急に長時間、子供が寝てくれるようになりました。

 

いやぁ、びっくりです。子供のためだと思って、夜泣きのたびに抱き上げ、子守唄を歌い、あやし、もう一度眠るまで(ときには朝まで)つきあっていましたが、実はそれは子供のためじゃなかったようです。

 

フランスでは、こうした夜泣きの放置は当たり前のようです。

フランス人は赤ちゃんの夜泣きをあえて放置! フランス式育児は合理的? | ダ・ヴィンチニュース

 

そうは言っても、子供が目覚めるのをすべて放置出来るわけではありません。今でも夜泣きはあり、放置しても2時間近く泣くために根負けしてあやすこともあります。オムツを変えたりミルクを飲ませたり、何をしても泣きやまないこともあります。

 

しかし、突然起きて夜泣きが始まろうとも、基本的に出来る限り放置(我慢が必要です)する方針を続けることで、当たり前のように長時間寝てくれるようになりました。

 

これで私たちは救われました。

夜泣きが大きく改善された①

これまで何度か、夜泣きについて悩んでいた頃のことを書いてきました。

樋屋奇応丸を飲ませたり、小児鍼を試したり。

いろいろな方法を取った中で、一番効果的だった方法の一つが、先日の記事の中で書いた

「ベビーベッドに寝かせる」

ということでした。

 

母親の側に寝かせないことに自責の念を夫婦で持っていましたが、うちの場合はどうやら間違いでした。子供はとても敏感なため、親の寝返りや身動きで、大きく睡眠を邪魔されるようなのです。それが解決され、子供の睡眠時間が伸びたのでした。

 

ただ、3時間ほどで目覚めて、大泣きするのはまだ直りません。子供が目覚めると、妻がおっぱいを子供にあげたり、夜中にミルクを上げたりしていました。

 

妻は日中にも眠ることが出来るために、最初の頃は夜中の子供の世話は妻にまかせっぱなしでした。ところがまとまった睡眠が取れない妻は、やがて疲労困憊するようになりまして、見かねてルールを決めました。

 

夜の前半は、妻が目の覚めた子供の世話をする。朝の4時以降に目が覚めたときは、私が起きて、朝8時まで世話をする、というように。

 

子供が生まれて6ヶ月ほど経つと、私の睡眠も浅くなり、子供が泣けば目が自然に冷めてしまいます。朝4時までは寝かせてもらい、4時以降は私が起きてミルクを与えて、またベッドに寝かせ、そのまま出勤時間まで起きなければ運がよく、8時までに起きれば、私がまたミルクを与える、こうしたことを続けていました。

 

朝飯は作らないでいいからと言って、妻には寝てもらうことにして(この習慣は今でも続いています)、なんとかやりくりしていたものの、睡眠への渇望は募るばかりでした。

 

夜泣きについては皆さんお悩みのようで、先程もタイムリーな記事を読みました。

www.tomochinchin.com

 

どこも大変です。睡眠が削られるのはつらく、段々と苛立ちが募るのがわかります。児童虐待は他人事だと思っていましたが、眠れない日々が続き、思わず怒鳴ってしまったことが私にもありますので、 気持ちが痛いほどわかりました。

 

いつまでも続く、数時間おきの夜泣き。ところが、それが一気に解決しました。それは「放置」という方法でした。

(明日に続きます)

子供の肌には馬油を塗っています

子供の肌を乾燥から守るために、馬油を塗っています。

ソンバーユ 無香料 70ml

ソンバーユ 無香料 70ml

 

 

以前は体全体に塗っていましたが、費用がかさむために顔だけを馬油、首から下はワセリンを塗ることにしています。金銭的に余裕がある方なら、全て馬油だけでいいかと。我が家はそれほど裕福ではないため、使い分けしています。

 

馬油の凄さを知ったのは、10年以上前です。私は乾燥肌で、冬になると肌が白い粉を吹き、頭からはフケが出て難儀していました。

 

市販の薬を塗ると痒くなります。かといって病院に行くほどのことでもなく、放置していたときに、池袋のサンシャインシティー通りのマツキヨで特売していた馬油を見かけて買ったのが最初です。

 

馬油とはなんじゃらほい、と思いながら肌に塗ると、よく伸びて、数分立つと肌に吸い込まれてベタベタしません。そして、翌日になっても肌は潤ったまま。すっかり感激してファンになりました。問題があっても解決手段がある、というのは嬉しいですね。

 

子供には保湿が大切、だからお風呂上がりにはワセリンを塗るといいですよ、と助産師さんから助言され、出産から帰ってしばらくワセリンを風呂上がりに塗っていた妻が落ち着いた頃、ワセリン代わりに馬油を勧めました。すると妻から鋭い指摘が。

 

「子供に動物の油を塗っても大丈夫なの? 他物由来のタンパク質を含んでいるでしょ? アレルギー出ないかな?」

 

私はそこまで頭が回りませんでした(涙)。かかりつけの小児科医に尋ねてもらったところ、彼によれば、特に成分的に問題ないと思うが、まずは肌の一部に少しだけ塗ってみて、アレルギー反応が出ないかどうか確認してから、全体に塗ってください、とのことでした。

 

幸いなことに問題なく、それ以来我が子の肌には馬油を塗って、保湿に努めています。

 

お陰さまで子供の肌はとてもキレイで、児童館で会った他のお母さんから、
「お宅のお子さんの肌はとてもキレイね!」
とよく言われているそうです。小児科医院でも看護師さんから驚かれるほどなので、馬油が効いているのでしょう。

2回目の『君の名は。』

君の名は。』の2回目を観に行きました。

 

君の名は。 Another Side:Earthbound』という、映画のサイドストーリーが角川から出版されています。1回目に映画を鑑賞した後に読み、再び映画を観ようという原動力になりました。三葉の父親と、母親の二葉との間にどのような交流があったのか知ってから映画を観ると、1度目に観たときとは違った別の熱い想いが胸に迫ります。

 

2回目に観て、電車内にZ-KAIの広告が貼られているのに気がつきました。私は受験生の頃にZ-KAIにお世話になっていたため、懐かしくて帰宅して妻に、

「映画の中で、電車の中にZ-KAIの広告があったのに気づいた。エンドロールにもZ-KAIの名前があったから、協賛しているんじゃないのかな」

と告げたところ、

「私は最初から気づいてた。三葉のノートの取り方がとても良くできていたから、Z-KAIが指導していたと思う」

と言っていました。学生時代に塾講師をしていた妻の目のつけどころに感服。そういえば、三葉のノートの取り方はうまかったな、と思います。

 

ストーリーはすでに知っていましたが、いろいろな発見があり、なおかつ映像が美しく見飽きません。画面の一つ一つが丁寧に作り込まれていて、情報量が多く、じっくりと眺めるうちに映画は終わりました。心地よい脱力感。2回観る価値はあります。

はてなには、いつか立ち上がり戦って欲しい

私が密かに、記事の更新を心待ちにしていたブログがいつのまにか消えていました。

 

そのブロガーはややアングラ系で、医者を脅迫した話などを記事にしており、あまり褒められたタイプの人間ではありません。もしもリアルで出会っても、仲良くなりたくありません(向こうもそうでしょうが)。

 

しかし、記事には私の知らない世界のことが詳細に描かれていて興味深いものが多かったのです。また、過去にネット界のいろいろな人物とからんでいて、その暴露話も刺激的でした。まだ将来があるのに、そこまでさらけ出す勇気を、自分が同じ年齢の頃には持ち合わせていませんし、今もありません。自分にはないものを持っている人の文章は面白いものです。

 

そのブログがいつの間にやら消えており、慌てて彼のTwitterを読んだところ、どうやら著名人と揉めて、はてなに通報され、その結果はてなブログのアカウントが停止されたそうです。どう読んでも著名人側に問題があったようにしか思えなかっただけに、残念でした。

 

ブロガー側にも仕方のない部分があったと思いますが、もう少しはてなの運営は時間をかけて、彼に譲歩してもらえたら良かったな、Twitter画面の削除などを提案して時間を描けて欲しかったな、と正直感じました。

 

はてなサービスの良いところは、彼のようなあまり褒められない人間の書いたブログでも、一律排除するのではなく、ホットエントリーとして紹介してくれるところです。ホットエントリーに上がっていなければ私は彼のブログを知ることはありませんでした。

 

専門書もあれば俗悪本も置いているのが本屋の魅力、いかがわしい作品も文芸作品も置いているのがDVDレンタル屋の面白さのように、多様な情報が混在しているからこそ、魅力は担保されます。会社の規模が大きいのにこれほど多様でバランスの取れた情報を提供してくれるインターネットサービス事業者はまれで(だいたいとちらかに偏っていています)、特にアングラブロガーの記事でも紹介してくれるサービスはほとんどなく、だからこそはてなが好きです。

 

創業者の近藤淳也氏の誠実で飾らない朴訥な人柄がそのまま運営に反映されているのでしょう。この多様な価値空間を守るために、はてな運営には、今後も頑張って欲しいところなだけに、今回の件は少々気がかりです。

 

1972年のことなので大昔ですが、四畳半襖の下張事件という事件がありました。永井荷風の作品を雑誌に掲載した野坂昭如が、わいせつ文書販売の罪に問われ、裁判となりました。

 

この時は芸術を守るために、当時の綺羅星のような流行作家が大勢証人として裁判の証言台の上に立ったことで話題になりました。彼らはペンの力を駆使して協力して抗戦し、判決は被告(野坂昭如側)の敗訴となったものの、表現の自由を守るための戦いとして、今でも大きな意味を持っています。

 

世界的に表現の自由が脅かされ、インターネット上ですら年々規制が多くなってくる世の中です。昔は政府が権力側でしたが、これからは大企業や大勢の取り巻きのいる著名人が権力側として言論空間に君臨し、無力な人々のブログにも圧力をかけてきます。その時にブログサービス事業者側が共に戦ってくれると心強いものです。

 

四畳半襖の下張事件のときは出版業界全体に権力者側と戦おうという機運があり、こうした動きが出版業界全体の地位を高め、社会の人々の尊敬を勝ち取るに至りました。出版業界の経済規模は大きくありませんが、芸能界やマスコミ、行政から「手強い」と思われ、彼らから邪魔されない自由を得ているのは、こうした過去の活動あってこそ。同じようにはてなにも、いつか表現の自由を守るために大勢の人々を巻き込みながら法廷で戦ってもらいたい、と願うのは期待過剰でしょうか?

 

もっとも担ぐ神輿としては、野坂昭如のような見識のある方でなければ、世間の共感も法曹の理解も得られず、難しいところではあります。