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クズリ通信

子育ての記録、人間関係論、シンプルな生活などについて。

はてなには、いつか立ち上がり戦って欲しい

私が密かに、記事の更新を心待ちにしていたブログがいつのまにか消えていました。

 

そのブロガーはややアングラ系で、医者を脅迫した話などを記事にしており、あまり褒められたタイプの人間ではありません。もしもリアルで出会っても、仲良くなりたくありません(向こうもそうでしょうが)。

 

しかし、記事には私の知らない世界のことが詳細に描かれていて興味深いものが多かったのです。また、過去にネット界のいろいろな人物とからんでいて、その暴露話も刺激的でした。まだ将来があるのに、そこまでさらけ出す勇気を、自分が同じ年齢の頃には持ち合わせていませんし、今もありません。自分にはないものを持っている人の文章は面白いものです。

 

そのブログがいつの間にやら消えており、慌てて彼のTwitterを読んだところ、どうやら著名人と揉めて、はてなに通報され、その結果はてなブログのアカウントが停止されたそうです。どう読んでも著名人側に問題があったようにしか思えなかっただけに、残念でした。

 

ブロガー側にも仕方のない部分があったと思いますが、もう少しはてなの運営は時間をかけて、彼に譲歩してもらえたら良かったな、Twitter画面の削除などを提案して時間を描けて欲しかったな、と正直感じました。

 

はてなサービスの良いところは、彼のようなあまり褒められない人間の書いたブログでも、一律排除するのではなく、ホットエントリーとして紹介してくれるところです。ホットエントリーに上がっていなければ私は彼のブログを知ることはありませんでした。

 

専門書もあれば俗悪本も置いているのが本屋の魅力、いかがわしい作品も文芸作品も置いているのがDVDレンタル屋の面白さのように、多様な情報が混在しているからこそ、魅力は担保されます。会社の規模が大きいのにこれほど多様でバランスの取れた情報を提供してくれるインターネットサービス事業者はまれで(だいたいとちらかに偏っていています)、特にアングラブロガーの記事でも紹介してくれるサービスはほとんどなく、だからこそはてなが好きです。

 

創業者の近藤淳也氏の誠実で飾らない朴訥な人柄がそのまま運営に反映されているのでしょう。この多様な価値空間を守るために、はてな運営には、今後も頑張って欲しいところなだけに、今回の件は少々気がかりです。

 

1972年のことなので大昔ですが、四畳半襖の下張事件という事件がありました。永井荷風の作品を雑誌に掲載した野坂昭如が、わいせつ文書販売の罪に問われ、裁判となりました。

 

この時は芸術を守るために、当時の綺羅星のような流行作家が大勢証人として裁判の証言台の上に立ったことで話題になりました。彼らはペンの力を駆使して協力して抗戦し、判決は被告(野坂昭如側)の敗訴となったものの、表現の自由を守るための戦いとして、今でも大きな意味を持っています。

 

世界的に表現の自由が脅かされ、インターネット上ですら年々規制が多くなってくる世の中です。昔は政府が権力側でしたが、これからは大企業や大勢の取り巻きのいる著名人が権力側として言論空間に君臨し、無力な人々のブログにも圧力をかけてきます。その時にブログサービス事業者側が共に戦ってくれると心強いものです。

 

四畳半襖の下張事件のときは出版業界全体に権力者側と戦おうという機運があり、こうした動きが出版業界全体の地位を高め、社会の人々の尊敬を勝ち取るに至りました。出版業界の経済規模は大きくありませんが、芸能界やマスコミ、行政から「手強い」と思われ、彼らから邪魔されない自由を得ているのは、こうした過去の活動あってこそ。同じようにはてなにも、いつか表現の自由を守るために大勢の人々を巻き込みながら法廷で戦ってもらいたい、と願うのは期待過剰でしょうか?

 

もっとも担ぐ神輿としては、野坂昭如のような見識のある方でなければ、世間の共感も法曹の理解も得られず、難しいところではあります。