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クズリ通信

子育ての記録、人間関係論、シンプルな生活などについて。

幸福な人間は、自分が幸せであることを喧伝しない

子育てをしていると、無性に幸福を感じることがあります。

 

仕事から帰ってきて、ベッドに寝転がり、スマホをいじっていると、子供が足元にやってきて、私の足をつつきます。いつもの隠れんぼで、それを機に立ち上がると、最近は後ろ向きにハイハイしながら逃げて行き、物陰から私の様子を見守ります。

 

その時にしみじみと幸せを感じます。

 

自分の収入不足を補うつもりではありませんが、家事は必ず毎日手伝うようにしており、帰宅して茶碗を洗って拭いたり、洗濯物を干したり、時々子供を風呂に入れたり、休日には時々朝昼とごはんを作ったりして、安い給料でやりくりしてくれる妻のストレスを少しでも軽減しようとしています。

 

それに妻はいつも感謝してくれます。ありがたいことに、狭いキッチンで手を変え品を変え、料理を作ってくれるし、何よりも大変な子育てを楽しくやってくれています。その他の家事も毎日明るくこなしてくれて、申し分のない妻です。

 

毎日が幸せなのですが、さて、こうした幸せを周囲に話しているか、というとそうでもありません。

 

まだ結婚していない人も周囲には多く、相手の立場を慮って幸せを語ることはほとんどないのです。そうしますと、以前若い同僚から、

「結婚て、つらくて大変そうですね」

ねぎらいの声をかけられました。私がヘビーな夜泣きでグロッキーだった頃で、たしかに間違いありません。しかしそれ以上に良いこともあるんだよ、と教えたかったものの、その言葉は飲み込みました。

 

幸せな人間が、自分は幸せだと言うことは難しいものです。やっかみも生じます。これだけ幸せな自分ですら、たとえば先日リンゴ日和。のひーたむさんが、

とツイートしたのを読んで、

「その若さでどうやって! う、うらやましい」

と思わず嫉妬したほど(笑……もちろん冗談ととらえてください)です。人間から嫉妬心を奪うことは難しい話です。

 

幸せな人間の存在は、周囲の人間にとってみれば不快な場合も多いでしょう。自慢と取られるのは面倒なので敢えて語りません。ところが不幸話は他人を喜ばせることはあっても、傷つけることはありませんから、

「結婚は地獄」

「子育ては不幸の連続」

という話だったら大声で話せます。結果、そういう話ばかりが世間を廻ることになるのでしょう。

 

そうしますと、若い人に、

「結婚や子育てって、面倒そうだなぁ」

と感じる人の多いこと。昔の私も結婚は大変だと思い、自分の立場では難しかろうと感じ、なかなか踏み切れませんでした。

 

また、はてな村の中では藤沢数希の言説にかぶれて、結婚は馬鹿馬鹿しい、コストだ、と考える人も多くいます。結婚してパートナーに恵まれて、幸せを日々感じている人の話はネットの上では多くないので、それも仕方のないことでしょう。

 

しかし、もったいない話です。パートナーに恵まれて幸せな結婚生活をしている人は大勢います。むしろそちらのほうが世の中には多いから、既婚者は結婚を他人に勧めるのではないでしょうか。私の周囲で、結婚が不幸だったと語った人は1人だけです。私が結婚してから、家庭がどれほど幸せかを誰もが語るようになりました。彼等は独身の私に遠慮して、これまで話さなかったのかもしれません。

 

自分が幸せであることをわざわざ吹聴して回る人もいます。しかしそれは大抵の場合、商売のためか、周囲に話すことで承認を得ないと、自分が幸福であることを実感出来ないためであることが多いのです(もしかすると、この私の記事自体も、その手のものかもしれませんが)。だから吹聴される幸福として、例えばアメリカのベイエリアで稼いでます、結婚は馬鹿のすることです、恋人は取っ替え引っ替えです、というようなキワモノばかりが大手を振ってまかり通りますが、実のところは羨んでもらいたいばかりに無理を重ねて心労を重ねていただけであったりします。

 

むしろ語られない平凡な幸福が世の中に多いのに、こうした凡百の幸福を知らず、例外的で運の要素の強い幸福を追い求めて、逆に不幸になる人は多くいます(昔の私です)。

 

恋愛を知らなかった子供の頃には、恋愛の喜びや性への渇望を知らなかったことを思い浮かべてください。

 

表には出てこない平凡でもかけがえのない幸福が数多く存在することを、知ってください。そして、その幸福を、幸福の渦中にある人間は語りたがらないということを、この記事を見かけた20代、30代の人に理解していただければ幸いです。